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書楼弔堂 探書壱 臨終 [京極夏彦]

小説すばる5月号に掲載された新シリーズ
書楼弔堂-01.jpg
読みは「しょろう とむらいどう」

明治25年5月。病気療養で半年休職し
帝都の内だが雑木林と荒地の田舎に3ヶ月前に越してきた
高遠の旦那と呼ばれる「私」はなかなかの読書好きな人物。

ある日、散歩がてら歩いていると三階建ての燈台のような店構えをして
軒には「弔」の一文字が書かれた半紙が看板の奇妙な古本屋に
興味を引かれ足を踏み入れた。

弔堂亭主(名前まだ不明)が観察と推測から客の素性を次々言い当てて
膨大な蔵書の中から客と必要としている一冊と引きあわせて心を癒すお話。

凝り固まった思いを徐々に解いていく様はアプローチが違う憑き物落としで
無地無染の白い着物を身にまとってる古本屋というのは
なんだか京極堂の反対みたい。白い京極堂(・∀・ )笑顔で愛想良い口ぶりというのもw
あと、江戸と大正・昭和の狭間でまだ昔と近代が歪に混じりあう特殊な明治という時代設定に
非常にグッと来ます。


今回特に心惹かれたのは、本は移ろい行く過去を封じ込めた呪物で
読んだ人だけの世界が幽霊のように立ち上がるお墓、位牌のようなものだと語る
元僧籍の亭主の本への愛し方が一風変わってるけど
とても共感できました
「書物と申しますものは、それを記した人の生み出した、まやかしの現世、
現世の屍なのでございますよ」
「しかし、読む人がいるならばその屍は蘇りましょう。
文字と云う呪符を読み、言葉と云う呪文を誦むことで、
読んだ人の裡に、読んだ人だけの現世が、幽霊として立ち上がるのでございますよ。
正に、眼前に現れましょうよ。それが――本でございまするな」
読んだ人だけの現世…誤読だとしても読者の自由に文章に想像をめぐらして
個人的な解釈ができるから読書体験は面白いんですよねぇ(´∇` )まさにコレ


また、
「自分の大切な人の位牌ぐらいは持っていたいものではございませぬかな」
と必要な情報を得たらもう要らないのかもしれないのにずっとある
本への所有欲を仏具に例えるのも非常に面白い(´∀`;)ホント本は捨てられないわ…

「後巷説百物語」最終話「風の神」で山岡百介が死亡したのが
明治10年の事なのでおぎんの孫の小夜や生死不明な又市や登場するかしら?
昭和28年が舞台の百鬼夜行シリーズ(あるいは京極堂シリーズ)にとっては
60年も前だから主要人物達の親よりも祖父母世代なので
直接なクロスオーバーは厳しいかなー


脇役の坊主頭で前掛けをしてて色の白い瓜実顔の
店の丁稚、撓(しほる)もいい味だしてるし今後の展開が楽しみです

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夏音

>シマリスさん
nice!ありがとうございます
by 夏音 (2012-04-25 00:10) 

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